きになる”福祉の時事ニュース

Vol.32  地域包括ケアのひな形は農村にあり   ~介護の視点編~

塚崎 朝子 氏 | ジャーナリスト

2012年の介護報酬改定が一段落した。診療報酬との同時改定であることを活かし、目玉として24時間の定期巡回・随時対応型訪問介護看護サービスが導入されるなど、“入院から在宅”“施設から地域”のさらなる加速を見込んでいる。地域包括ケアのひな形は、農村にある。

地域包括ケアのひな形は農村にあり 佐久総合病院に見る医療・介護連携

 
11年暮れに公開された『いや医す者として』(鈴木正義監督)は、JA長野厚生連佐久総合病院(佐久市)が、草創期の院長だった故若月俊一氏を中心にして、地域医療の礎を確立していった様を描いている。
 
1945年の着任から、医療とは疎遠だった住民を啓発して、近隣町村に出向いての出張診療を行い、八千穂村(現佐久穂町)で全住民の健康診断の体制を整え、農村医学を確立したのが黎明期。続く高度経済成長時代は、農薬中毒、農機具災害などから農民を守る闘いだった。
 
そして、農村から若い働き手の都市への流入が進んだ結果、独居や高齢夫婦のみ世帯の増加という“後遺症”ももたらされた。70年代半ばには、病院から家に帰りたくても介護の担い手がいない高齢者が、病棟にあふれるようになった。
 

老健を併設 生活を支えつつ医療提供

 
同院は87年、日本でも最古の1つ、県内初の介護老人保健施設の併設に踏み切った。当時、国は2000年までに全国で約30万床の老健設置を目指し、全国7カ所モデル施設を設定、その農村地域の病院併設型が、同施設であった。ヘルパーらが生活を支え、医師や看護師、理学療法士らが治療や機能訓練を担う。高齢者自身のリハビリテーションと同時に、介護する家族のレスパイトケアという理念を明確に打ち出している。開設当初から、地元の小学生を始めとしたボラ
ンティアがかかわるなど、地域に根差すことも志向されている。
 
翌1988年には、同院医師を中心に在宅ケア実行委員会が組織され、在宅医療を
拡大して展開している。院内には、24時間対応の“ホットライン”も設置され、相談や緊急の往診にも対応する。
 
以来20年余り、医療と介護の連携が強固なことは、医師が訪問診療に同行した医学生に語りかける言葉からもうかがええる。「患者さんの身近な存在であるヘルパーさんが情報をつかんでいるから、うまく情報交換できるかが大事だよ」と。
 
さて、映画を離れ、2012年の介護報酬改定で新設された24時間巡回サービスを
見ると、人口密度が高い都市部では事業者の参入は期待できるとしても、過疎・中山間地域で名乗りを挙げるのは厳しいと言わざるを得ない。
 
佐久総合病院付属小海診療所(南佐久郡小海町)が、郡内の地域包括支援センター職員などを対象に実施してしたアンケートで、農山村地域における高齢者福祉の担い手として今後期待したい組織として挙げられたのは、協同組合、社協、NPO法人が多かったという。「“母なる農村”とそこに暮らす地域住民の命と暮らしを守る」ことを理念に掲げる農協と厚生連病院の連係プレーはより鮮明になるかもしれない。

Vol.32   地域包括ケアのひな形は農村にあり   ~介護の視点編~
つかさき・あさこ プロフィール
読売新聞記者を経て、医療・医学、科学・技術分野のジャーナリスト。経営学修士(MBA)、医療管理学修士。週刊エコノミストで「大人の悠遊 からだチェック!」、メディカル朝日で「命を紡ぎ出す〜再生医療の現場から」連載中。著書に『看護のための経営指標みかた・よみかた超入門』(共著、メディカ出版)ほか。東京医科歯科大学大学院医療政策学博士課程在籍。

補足資料ナナメ読み

【農村医学】

若月俊一氏が終戦半年前の1945年に佐久病院(当時)に赴任した頃、南北佐久郡は人口23万人に対し小諸市に私立病院が1軒あるのみで、農村医学は無医村との闘いから始まり、医療の供給が最優先された。農民の病気と生活および労働環境のかかわりが解明されるにつれ、実態調査に基づいて治療や予防の手段が体系化されていった。52年、若月らは日本農村医学会を創立するが、61年にできた国際農村医学会に9年も先んじていた。農村医学とは、日本の国土に応じた「郷土医学」である。また、住民の社会的背景を考慮に入れた「社会医学で、「地域医学」でもある。そこでの「医療」とは、治療だけでなく、予防、健康管理、福祉を包含したものである。同院が八千穂村で取り組んだ健康管理は、村の総死亡率や総医療費を削減し、83年に国が老人保健法に基づいて採り入れた集団健診の基礎ともなっている。