きになる”福祉の時事ニュース

Vol.33  農村に見る医療・介護連携の 原点  ~医療の視点編~

塚崎 朝子 氏 | ジャーナリスト

2012年の同時改定の肝は、医療と介護がタッグを組んで在宅生活を支えようというもので、“地域包括ケア元年”とも称される。実は、日本の農村こそ社会を先取りしており、目指すべき道のヒントがある。

農村に見る医療・介護連携の原点 佐久総合病院の歩みを映像で見る

 
60年余り前、農村地帯に分け入り地域医療の礎を確立すると、高齢社会の問題にいち早く着目した巨人がいた。JA長野厚生連佐久総合病院(佐久市)の初代院長だった故若月俊一氏である。
 
同院が「農民とともに」をスローガンに歩んだ道を綴った映画『いや医す者として』(鈴木正義監督)が11年暮れに公開され、前後して同院を訪ねる機会を得た。同院では1950年代から自らの活動をフィルムに記録しきており、今回はその集大成とも言える。
 
44年開設当時、南佐久郡23町村のうち13カ村は無医村で、同院は20床規模でスタートした。寒冷地であるのに加え、質素な食事や重労働によって農民がむしばれるのを看過できないと、まず立ち上がったのが巡回診療団だ。出張診療所を設け、医師や看護師のチームが泊まりがけで健康診断や訪問診療に当たった。
 
最大の目的は、経済・時間・地理的制約から医療が縁遠かった人々に、健康への自覚を持ってもらい、“潜在疾病”を早期に発見し、予防につなげること。医師たちの目は、身体だけでなく、住居などの生活環境や農作業の内容にも向けられ、医学的、社会的そして科学的な手法により問題の改善に努めた。医学的知識に乏しく病を放置している人々の啓発は最重点で、日本の農村医学の草創期である。
 

地域医療と高度専門医療の両立

 
若月氏は卓越した外科医の腕を活かして、49年から脊椎カリエス(結核性の脊椎炎)にも果敢にチャレンジした。地域医療と高度専門医療を両輪とする取り組みだ。驚嘆すべきは、その手術を公開で行って、人々の外科治療に対する恐怖心を解いたことだ。インフォームド・コンセントの先駆けでもある。
 
69年には、八千穂村(現佐久穂町)で、同院(民)と役場(官)、そして衛生指導員(住民)が手を携えて15歳以上の全村民を対象に年1回の集団健診を開始し、1人1冊の「健康手帳」も作成された。やがてこの仕組みは県全域へと広げられた。患者会や病院祭などを率先して始めたのも同院だ。
 
経済成長期を迎えると、生産優先策から生じる農薬中毒、農機具による事故から農民を守ることに力が注がれ、並行して、若月氏が唱えた「2足のわらじ」の片側にある先進医療を充実させてきた。
 
そして、農村は高齢化の先進地、農村医療は時代の最先端の社会現象を含んでいると、近年、最も力を入れているのが、在宅医療だ。また、高度専門医療を担う基幹医療センターを新築中で、高齢者ケアや健診活動の拠点となる地域医療センターとの分離・再構築が進められている。どちらも、住民ニーズに応じて育ててきた柱だ。同院の歩いた道は、病院のあり方の原点として大いに参考になる。

Vol.33   農村に見る医療・介護連携の 原点  ~医療の視点編~
つかさき・あさこ プロフィール
読売新聞記者を経て、医療・医学、科学・技術分野のジャーナリスト。経営学修士(MBA)、医療管理学修士。週刊エコノミストで「大人の悠遊 からだチェック!」、メディカル朝日で「命を紡ぎ出す〜再生医療の現場から」連載中。著書に『看護のための経営指標みかた・よみかた超入門』(共著、メディカ出版)ほか。東京医科歯科大学大学院医療政策学博士課程在籍。

補足資料ナナメ読み

【農村医学】

若月俊一氏が終戦半年前の1945年に佐久病院(当時)に赴任した頃、南北佐久郡は人口23万人に対し小諸市に私立病院が1軒あるのみで、農村医学は無医村との闘いから始まり、医療の供給が最優先された。農民の病気と生活および労働環境のかかわりが解明されるにつれ、実態調査に基づいて治療や予防の手段が体系化されていった。52年、若月らは日本農村医学会を創立するが、61年にできた国際農村医学会に9年も先んじていた。農村医学とは、日本の国土に応じた「郷土医学」である。また、住民の社会的背景を考慮に入れた「社会医学で、「地域医学」でもある。そこでの「医療」とは、治療だけでなく、予防、健康管理、福祉を包含したものである。同院が八千穂村で取り組んだ健康管理は、村の総死亡率や総医療費を削減し、83年に国が老人保健法に基づいて採り入れた集団健診の基礎ともなっている。